この記事は「人として一皮むけた日PART1」、「人として一皮むけた日PART2」の続きとなっている。
まだ前回、前々回の記事を読んでいない人は恐らく話の流れが理解できないと思うので、それらの記事を読んでからこの記事を読むことを強く推奨する。
↓前々回の記事
↓前回の記事
僕ら4人はファミレスに誘われたわけだが、内一人はそれに参加しないらしい。
僕はファミレスに行くのか、行かないのか......。
究極の二択が僕に迫られることになる。
恐らくだが、ここは普通の人間であるのならば、まず間違いなく行くという選択肢を取ると思う。
しかしながら、この二択を迫られているのは普通の人間ではない、「僕」だ。
「僕」であるのだ。
僕はかなりのひねくれものだと、自分でもそう思う。
出来る限り流行りものに乗りたくないし、人と違うことをしていたい。
だけど僕という人間のどこかで、流行りものに乗っかって人と盛り上がりたい、人と同じことをしたい、という気持ちがかすかにあるような気がする。
正直な所、それが本当にあるのかどうかは僕にも分からない。
神のみぞしる、と言ったところであろうか。
4人の内僕以外の全員が参加する、というのであれば半強制的にファミレスに行かなけらばならない流れになっていたのではないかと思う。
ただややこしいことに、4人の内の一人が参加しない。
これが一体何を意味するのだろうか。
そう、「僕」がこの現場から抜け出しやすくなってしまう。
ひねくれものの自分にとっては、ある意味では最高とも言える状況が作り出されてしまったのである。
ただ、ここで逃げることに果たして意味はあるのか?
ここで逃げてしまったら、一体何が残るのか?
ひねくれるということは別に悪いことではない。
それがちゃんと自分の意志に基づいているのならば。
ひねくれは二つに分類できると思う。
一つ目は、自分の信念を持ってあえて孤高の存在であることを願うタイプ。
二つ目は、本当はみんなに混ぜりたいという気持ちがあるのにも関わらず、自分から不幸になる選択肢を取ってしまっているタイプ。
一つ目に関しては、僕は非常に素晴らしいと思う。
僕の学生時代にまさにそんな感じのクラスメイトがいたが、多少嫌われてしまっている部分もあったけれども、少なくとも僕はカッコよいと思った。
だけど、残念ながら僕は一つ目のタイプに当てはまるような人間ではない。
僕は二つ目のタイプの人間だ。
常に目の前の状況から逃げ続け、自分から不幸になりに行ってしまっている。
僕は残念な人間だ。
でも、何度も失敗してきたからこそわかることもあると僕は知っている。
友達作りに失敗し、挫折を経験してきたからこそ、この選択はかなり慎重に選ばなければならない。
一時の感情に流されてはいけないのだ。
僕は腹をくくり、ファミレスに行くことにした。
この続きは次回のブログに記すことにする。(次回でこの話は完結させる)
↓過去に書いた記事
(少し謝らなければならないことがある。この記事を書くときに間違えて一度投稿してしまって、慌てて下書きに戻してから予約投稿したので、読者登録をされている方は前回の記事が再び購読リストに出現してしまっているかもしれない。謹んでお詫び申し上げる。)